樹木は素敵なアーティスト。落ち葉と戯れるちょっと心地よい一日。 ウィーン旅行記、初めての野菜づくりの体験記も。コメントお待ちしてます!  
和菓子のような。
2007年01月26日 (金) | 編集 |
(c)masayoshi ishii


直径5ミリ程の小さい梅のつぼみ。
これも和菓子のデザインのルーツかな。
梅も早いものでは咲き始めていますが、
つぼみ詣でも、それぞれに個性があっていいものです。
神代植物公園にて。

(c)masayoshi ishii
(写真クリックで拡大!)


小さいものは撮るのに一苦労二苦労。
このぐらいのマクロになると、ほんの微風が吹いても、カメラのなかでは大地震のように揺れて、すぐ画面からはみ出してしまいます。
この場合は、写っている枝を、隣の太い幹とを針金で結んで、揺れないように固定しています。銅の針金は、僕のマクロフォトの必需品です。


2007.1.25
人面冬芽の季節。
2007年01月25日 (木) | 編集 |
(c)masayoshi ishii


どこの国の人に見えますか?
樹木の観察では「冬芽」を楽しむ季節です。
冬芽って、樹種によっていろんな顔に見えるんです。
でも肉眼では見えにくい、とっても小さいものばかりなので、
ルーペを使うか、接写機能のあるデジカメで撮影して、
拡大して楽しむことをお勧めします。

上の写真は「ドウダンツツジ」の冬芽。
この枝は、実際はツマヨウジぐらいの太さです。

僕はこのドウダンツツジは実は冬の今の季節が一番好きです。
花火のような枝振り、その先に赤く小さな冬芽。

(c)masayoshi ishii



もう一つ、下は「リョウブ」。おしゃれな旅人風?です。
こいつは結構大きく、肉眼でも十分楽しめます。
後ピン(ピントがモチーフより後ろにずれること)でちょっと失敗・・・

(c)masayoshi ishii


撮影している時、通りかかったおじいさんが、

「もうだいぶ芽が張ってきたな。
春という言葉はここから来てるんだな。春は芽が「張る」から春って言うんだな。」

オヤジギャグ・・・でなくて、美しい国日本の、美しい日本語でした。

撮影日:2007.1.24
Canon EOS5D MPE65mmMACRO EF100mmMACRO EF50mmF1.4





「まず咲く」花が今まさに。
2007年01月24日 (水) | 編集 |
(c)masayoshi ishii


まさにこれから開く「マンサク」のつぼみです。

このつぼみの一つの大きさは、実際はマッチ棒の頭ぐらいなんですよ。
特殊なマクロレンズで4倍に拡大して撮影しました。
肉眼では見えない世界なのです。(写真クリックで拡大!)

(c)masayoshi ishii


あのひょろひょろとしたヒモのような花びらは、
開く前はこんなにきれいにクルクルと丸められているのですね。
思わず、お祭りの「巻き笛」を連想してしまいます。
よく見ると、花びらを支えている少し紫がかった茶色いガク片も、
フカフカしてなんだか温かそうです。
カシミア(?)のコートにくるまっているようです。

「まず咲く」というのが名前の由来の「マンサク」の花の開花のご報告でした。

2007.1.23 神代植物公園

Canon EOS5D MP-E65mmF2.8MACRO + MACRO RING LITE MR14EX




死んだふりをする木(ヤマコウバシ)
2007年01月22日 (月) | 編集 |
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(c)masayoshi ishii


「あ〜ぁ、枯れちゃって。かわいそうに。」
昨年の晩秋から、その明らかに枯れて見える一本の樹の前を通るたびに、何度同情したことか。

しかし、つい最近通りかかったら、その枯れ木から冬芽が出てきているではないですかっ!

「生きてる・・・なっ、なんだ、だまされた。同情して損した。」

この樹は「ヤマコウバシ」(クスノキ科クロモジ属)という落葉樹ですが、
枯葉を春までもったいぶって落とさないことで有名なのだそうです。
(秋に葉柄の付け根に離層ができないせいとのこと)

枯れて茶色く干涸びた葉を風になびかせるその姿は、ほんとに枯れ木のようで、やはりみんなだまされてしまうそうです。

今日も彼は死んだ振りをしてみんなの同情を買っています。
まあでも、生きててよかった。

(c)masayoshi ishii


上写真:ヤマコウバシの枯葉

2007.1.21 神代植物公園内




山火事で性転換(サカキ、ヒサカキ)
2007年01月21日 (日) | 編集 |
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(c)masayoshi ishii


2枚の葉の樹木は、それぞれ神事で玉串などに使われるツバキ科の常緑樹です。

上が「サカキ(榊)」関東以西で主に使われます。
下が「ヒサカキ」関東以北で主に使われます。

「サカキ」の葉と枝振りを見て感じたのが、そのシンプルさ。
縁がまるく滑らかで、葉脈もあまり目立たない。
色もとっても素直な緑色。

他にも常緑樹が多い中、神事の樹として、ゴージャスなものとかを選ばずに、
このシンプルなサカキを選んだ日本人の感性って素晴らしいと思う。
これは、今もシンプルモダン好きの日本人独特の感性に通じるものがあるような気がします。

「ヒサカキ」は、サカキの生えない地域で代用品として使われるので「非サカキ」と言われるのだとか、またサカキより少し小振りなので「姫サカキ」と言われたところから来たのだとか説があるそうです。

でも葉っぱだけを見ると、両者、あまり似てませんね。
ヒサカキは、シンプルなサカキと比べてしまうと、ちょっとガチャガチャした印象です。

いずれにしても両者ともツバキ科の常緑樹なので、辺りの山に入ればどこにでもあって、一年中緑の葉を提供してくれるので、日本人にとっては古来から馴染みのあった樹なのでしょう。

それよりもこのヒサカキ、面白いのが、山火事にあうと「性転換」しちゃうそうです。
いくら山火事にビックリしたからって、性転換とはリアクション大きすぎじゃぁないの・・・

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写真:サカキ

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写真:ヒサカキ 鎌形の芽

2007.1.19





激写!枯葉の舞
2007年01月19日 (金) | 編集 |
(c)masayoshi ishii


電車や車を流し撮りするカメラマンは数多いけれど、
風と戯れる枯葉の舞を流し撮りする物好きは僕以外にいるでしょうか?

上の写真は、晩秋に車道の下り坂を強風に吹き飛ばされながら駆け下りる落ち葉たちを、シャッタースピードを遅めにして(1/30秒ぐらいかな)流し撮りしたもの。
オーストリア、ウィーンの森のブナ林の道です。
写真全体を見れば訳の分からない失敗作。しばらく放っておいたのですが、
最近になって「こんな写真あったんだ・・・」と掘り出して、
アップにして見てみると、あれれ、以外に面白い。

そこには、枯れ葉たちが激しく踊り狂う様子がリアルに写されているのでした。

立ち上がったり、滑ったり、くるくる回ったり、狂喜乱舞する枯れ葉たち。


(c)masayoshi ishii

(c)masayoshi ishii

(c)masayoshi ishii


カラカラと音をたてながら坂道を駆け下りる枯れ葉たちが、
ウキウキはしゃぎながら歩く、遠足の子供たちみたいだと感じたのを、
今になって思い出しました。

Camera:EOS5D EF50mmF1.4
November.2006





メタセコイアの葉は?
2007年01月18日 (木) | 編集 |
(c)masayoshi ishii


生きた化石といわれる「メタセコイア」。
今は大きな木をけっこういろんなところで目にするけれど、
調べてみると、日本に持ち込み、初めて植えられたのが1949年なのだそうです。
けっこう最近じゃないですか。

そもそも大昔日本列島にはたくさん生えていたのだそうで、
もう化石しか残っていないと思われていたのが、1945年に中国四川省で樹木が生えているのが発見され話題になりました。

発見されてから60余年しか経っていないのに、
それが今ではいろんなところでニョキニョキと大木になっています。
よっぽど成長が早い木なんですね。日本の気候も好きらしい。

(c)masayoshi ishii


さて写真はメタセコイアの落ち葉。

葉っぱは糸のように細いし、こんな状態で落葉するので、「複葉」の樹木で、この写真の細い葉たちの一束の集まりを1枚と数えるのか思いきや、違うのだそうです。

この細くて小さい葉の一枚一枚が、独立した「単葉」なのだそうです。

(c)masayoshi ishii


アップにすると学術的理由が少し分かってきます。
小さな葉たちの真ん中を通る茎からそれぞれが「小枝」として分かれ、そこに葉がついている構造なので、それぞれは独立した葉となるそうなのです。(本ではここがどうもわかりづらいので困ります)

だから、秋の落葉も、この写真のようにたくさんの葉が茎についた状態で落ちるので、
本当は落葉ではなく「落枝」というのが正しいのだそうです。

前回ブログのナンテンのワサワサした束も、1枚の葉。(羽状複葉)
このメタセコイアの糸のように細く小さな粒も、1枚の葉。(単葉)
葉の定義ってけっこう難しいですね。




写真:神代植物公園 2006.12.10
参考図書:木の見かた、楽しみかた 八田洋章著 朝日選書






葉っぱが1枚〜葉っぱが2枚〜
2007年01月17日 (水) | 編集 |
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ナンテンの木はこの季節、葉を赤く染め、真っ赤な実もたわわに実らせて、冬枯れの景色を温かい雰囲気にしてくれます。

さてこの写真のナンテン、幹から別れた部分をまるごと採取したものですが、葉っぱは全部で何枚あるでしょうか?

答えは、この写真全部で「一枚の葉」と数えるそうです。

葉っぱにはケヤキのように一枚一枚の葉が独立している単葉と
トチノキのように小葉が集まって一つの葉をつくる複葉がありますが、
ナンテンはその複葉の中でも最も複雑なものの一つの「3〜4回羽状複葉」なのだそうです。
2枚の葉が左右に茂れば、もう180度周囲を覆ってしまえるのですね。

ナンテンの名には「難を転ずる」という意味があるそうです。
寒い季節を元気に温めてくれる、心強いやつです。

07.1.14 自宅ベランダの鉢植えにて





テーマ:動物園
ジャンル:学問・文化・芸術
ブルックナーの眠る場所6(完)ブナの大木の庭で
2007年01月04日 (木) | 編集 |
ブルックナーオルガンによる演奏会の感動の余韻醒めぬまま、
僕は礼拝堂を後にした。
小雨と強風が吹き荒れ、もう辺りは薄暗くなりつつある。

(c)masayoshi ishii


修道院の正門から出て帰途に着こうと思ったが、
何だか名残惜しくて、少し寄り道をすることに。
ぶらぶらしていると、正門の横には小さな庭に通じる入り口があった。

その庭を訪れると、中央には小さな池。
小雨に揺れる水面には、落ち葉たちとモノクロームな風景。
もう冬だ。

(c)masayoshi ishii
(クリック・拡大してご覧ください)

庭の隅には、一本のブナの大木。
樹冠の下には、古いベンチ。
そこからは、小さな街を見渡すことができる。

(c)masayoshi ishii


一生独身で、おじいさんになっても若い女性ばかりに恋し、追いかけてばかりいたブルックナー。
ひょっとしたらその恋破れた時に、このブナの木の下のベンチに座って物思いに耽っていたのかも・・・
なんて想像してしまった。
十分ありえる話だと思うが・・・(当時このベンチがあればの話ですが)

その近くにはリンゴの木。
夕闇迫る薄暗い風景の中で、地面に落ちたリンゴの実は、
小雨に濡れて、いっそう艶かしさを増していた。
リンゴと並んでカエデの落ち葉。

(c)masayoshi ishii


このブルックナーも物思いに耽りながら歩いたであろう小さな庭が、
旅の最後の「落ち葉拾い」の場所ともなりました。

このブログで公開した写真だけではく、
旅の中で何百枚と収集・撮影した落ち葉の写真を、
いつかどこかで皆さんに観ていただくために、
現在制作作業をすすめています。

それらを、いずれ皆様にお披露目できることを願って・・・完。

撮影データ
ザンクト・フローリアン修道院 リンツ オーストリア

2006.11.5
photo&text:masayoshi ishii
Camera:Canon EOS5D



テーマ:クラシック
ジャンル:音楽
A HAPPA(?) NEW YEAR
2007年01月03日 (水) | 編集 |
あけましておめでとうございます。
今年も皆様にますますのご多幸を!!

(c)masayoshi ishii

ブルックナーの眠る場所vol.5 生を肯定するもの
2007年01月02日 (火) | 編集 |
僕はその親切で可愛らしい老婦人と別れたあと、
しばらく薄暗い礼拝堂の長椅子の最後列に座り、
半ば瞑想状態でぼぉっとしていた。

どうせバスは2時間に1本しか無いし、
ブルックナーとお別れするのも寂しいし・・・
バスの時間までここに留まることに。


しばらくして、観光ツアーの団体らしき人々が10人程、静かに礼拝堂に入ってきた。
彼らはしばらくガイドから説明を聞いていたのだが、突然、パチパチと拍手を始めた。
何事かと思ったら、一人の神父さんが、ブルックナーオルガンに向かってツカツカと歩いて行く・・・

ブルックナーオルガンのショートコンサートが始まったのだ!!

何という幸運。(お金も払っていないのに!!)
あのおばあさんと会わなければ、とっくの昔に引き上げていただろうに・・・
ツアー客のための演奏会なのに、僕や他の見学者たちに出て行けというそぶりは全然ない。
その辺のおおらかさには感心してしまう。

オルガンの音が鳴り響くと同時に、目頭が熱くなってしまった・・・感無量。

あのおばあさんが身振り手振りで教えてくれた通り、
オルガンは次第に祭壇の左右のパイプからも響き始め、
礼拝堂全体が美しい音楽に包まれたのであった。

(c)masayoshi ishii



本当に天から音楽が舞い降りてくるようだ。


時に優しく語りかけるような低音、時に目を覚ませとばかりの刺激的な中高音
これはブルックナーの交響曲の響きそのものではないか・・・

このオルガンがあったから、あのブルックナーの交響曲の響きがあるのかもしれない。

20分程の組曲の最終章、
曲はフォルテッシモの長い和音で締めくくられた。
しばらく美しい残響が響き渡り、再び静寂が訪れる。

終わると同時に、気付いた。

   『ここにある全てのものは、生を肯定している。』

包むような礼拝堂の大空間、たくさんの美しい彫像と壁画、そしてブルックナーオルガンから奏でられる荘厳な音楽・・・
それらのすべては生を肯定し、祝福するために存在するのだ。

そして、僕も

   『生を肯定する何かが欲しい』

と、強く思った。

ブルックナーオルガンの響きが消え、静寂が訪れると同時に、
その想いが全身を駆け巡った。

   『日本に帰ったら、探さなきゃ・・・』



僕は無宗教の国の人間。
まだ宗教の生きているこの国の人々と違って、
日本では『生を肯定する何か』は、始めからは用意はされていないのだ。
個々が生きて行く中で、一人一人が見つけて行かなければならないのだ。
だから、その答えは一人一人違う。
一人一人で答えを見いだし、それを維持していくのは大変なことだ。
そんな共通した「生を肯定する何か」を僕らは持たないから、
個々が築き上げた価値観は孤独なままで、
心の病に苦しむ人も増える一方だし、
いじめ問題だって、表面的な議論で終わってしまうんじゃないか...

それにひきかえ、
日本と比べると、まるでこの国は国民全体がファミリーのようではないか。

曲が終わると、礼拝に立ち寄ったのであろう、後ろの方で聞いていた老紳士が、
ひざまづいて目を閉じて十字を切ってから、帰っていった。
そのさりげなく、邪心のない純朴なふるまいには、何か美しささえ感じた。

つづく
   _____________________


訪問日:2006.11.5
St.Florian Linz Austria
photo&text masayoshi ishii
camera:Canon EOS5D TS-E24mmF3.5L



テーマ:クラシック
ジャンル:音楽