2007年04月24日 (火) | 編集 |
「足尾に緑を!渡良瀬川に清流を!」
足尾銅山の植樹会が4/21,22に行われました。
「足尾に緑を育てる会」主催の、
市民ボランティアによる春の植樹会です。
今年で12年目を迎えます。
植樹地は、てっぺんにわずかに木が生えるだけで、あとは石ころの転がるガレ場にわずかに草が生えるだけ。
そこを上の方まで登って(登るだけで大変なのに!)木を植えました。

クリックで拡大!!
足尾の禿げ山は、公共事業で膨大な労力を費やし、
現在ではその7割が緑化されたそうです。
それでも荒廃の激しい場所は緑化が難しく、
岩石のむき出しの山肌もまだまだ目立ちます。
下の2枚の写真は、今年の植樹地の周囲で見られた、
公共事業で続けられている治山・緑化の風景です。
足尾の荒廃地の山肌の、初期の治山の風景は
まるで地球の「サイボーグ」化を見ているようです。

地球の長い歴史の中でつくられてゆくはずの風土や生態系の機能を、
人間が代わりにつくってゆくのです。
まず土が流亡しないよう土留めをし、雨で水が暴れないように沢をつくります。
こうやって人間がガチガチに人工物をつくらなければ、
植物を失った山肌はどんどん歯止めなく崩れてゆくばかりで、
もう自然の再生力は何も残されていないのです。

クリック大画面!!
人工的に山肌を固めた後、今度は生命をそこに固定させる作業です。
上の写真の黒い横しまは、その生命を発生させる装置です。
写真をクリックして拡大してみてください。
黒い横しまは、「植生袋」という植物の種と養土が詰められた土嚢が並べられたものです。
足尾の山肌は、自然の力では植物が根付かず、
このように人間が、自然が再生するきっかけを
まず最初に作ってやらねばならないのです。
この小さな植生袋を、足場の悪い急斜面に、
人力で丹念に一つ一つ並べてゆきます。
この気の遠くなるような地道な土木作業が
100年以上もの間、続けられてきました。
こんな過酷な場所で、12年前にスタートしたこの市民ボランティアの植林活動。
素人である市民ボランティアが足尾で緑を根付かせようというのは、
ホントに大変で、過酷なチャレンジなのです。
足尾の緑の本当の再生は、決して一世代ではなし得ないもの。
初期の活動では中高年ばかりだったのが、
近年では若者らの姿が目立つようになったことは、とっても頼もしいことです。
彼ら(僕ら)の森の再生への願いが
遠い未来に叶うことを祈るばかりです。

photo:masayoshi ishii
2007.4.21
足尾銅山の植樹会が4/21,22に行われました。
「足尾に緑を育てる会」主催の、
市民ボランティアによる春の植樹会です。
今年で12年目を迎えます。
植樹地は、てっぺんにわずかに木が生えるだけで、あとは石ころの転がるガレ場にわずかに草が生えるだけ。
そこを上の方まで登って(登るだけで大変なのに!)木を植えました。

クリックで拡大!!
足尾の禿げ山は、公共事業で膨大な労力を費やし、
現在ではその7割が緑化されたそうです。
それでも荒廃の激しい場所は緑化が難しく、
岩石のむき出しの山肌もまだまだ目立ちます。
下の2枚の写真は、今年の植樹地の周囲で見られた、
公共事業で続けられている治山・緑化の風景です。
足尾の荒廃地の山肌の、初期の治山の風景は
まるで地球の「サイボーグ」化を見ているようです。

地球の長い歴史の中でつくられてゆくはずの風土や生態系の機能を、
人間が代わりにつくってゆくのです。
まず土が流亡しないよう土留めをし、雨で水が暴れないように沢をつくります。
こうやって人間がガチガチに人工物をつくらなければ、
植物を失った山肌はどんどん歯止めなく崩れてゆくばかりで、
もう自然の再生力は何も残されていないのです。

クリック大画面!!
人工的に山肌を固めた後、今度は生命をそこに固定させる作業です。
上の写真の黒い横しまは、その生命を発生させる装置です。
写真をクリックして拡大してみてください。
黒い横しまは、「植生袋」という植物の種と養土が詰められた土嚢が並べられたものです。
足尾の山肌は、自然の力では植物が根付かず、
このように人間が、自然が再生するきっかけを
まず最初に作ってやらねばならないのです。
この小さな植生袋を、足場の悪い急斜面に、
人力で丹念に一つ一つ並べてゆきます。
この気の遠くなるような地道な土木作業が
100年以上もの間、続けられてきました。
こんな過酷な場所で、12年前にスタートしたこの市民ボランティアの植林活動。
素人である市民ボランティアが足尾で緑を根付かせようというのは、
ホントに大変で、過酷なチャレンジなのです。
足尾の緑の本当の再生は、決して一世代ではなし得ないもの。
初期の活動では中高年ばかりだったのが、
近年では若者らの姿が目立つようになったことは、とっても頼もしいことです。
彼ら(僕ら)の森の再生への願いが
遠い未来に叶うことを祈るばかりです。

photo:masayoshi ishii
2007.4.21
2007年04月22日 (日) | 編集 |
久しぶりに散歩した植物園。
ピンク色の芽鱗を脱いで、朴の葉が開き始めていました。
芽鱗は冬芽の一番外側を覆っている殻のようなもので、何重かの構造になっています。
その外側はとても固くて厚く、色も褐色ですが、
内側の芽鱗は薄くて色も鮮やかで、まさにヴェールのようです。

ハクサンボクの花も見頃です。
花のない時期のハクウンボクは、葉は固くて濃い緑色でとっても地味。
だから花のある一番魅力的な季節にちゃんと見てあげないといけませんね。

ピンク色の芽鱗を脱いで、朴の葉が開き始めていました。
芽鱗は冬芽の一番外側を覆っている殻のようなもので、何重かの構造になっています。
その外側はとても固くて厚く、色も褐色ですが、
内側の芽鱗は薄くて色も鮮やかで、まさにヴェールのようです。

ハクサンボクの花も見頃です。
花のない時期のハクウンボクは、葉は固くて濃い緑色でとっても地味。
だから花のある一番魅力的な季節にちゃんと見てあげないといけませんね。

2007年04月20日 (金) | 編集 |
明日、明後日(4/21、22)は
「公害の原点」と呼ばれる足尾銅山で、ボランティア(自由参加)による植林があります。
足尾銅山は現在は閉山していますが、操業時に銅の精錬により排出される亜硫酸ガスが森の生命を奪い、現在でも殺伐とした広大な禿げ山が広がっています。
そこに渡良瀬川流域の市民らが「公害の原点である足尾に木を植えることによって環境問題を考えよう」と始めたのが、この植林です。
今年で12年目を迎え、皆の共感を呼び、参加者も1000人を超えるようになりました。
環境保護団体の他、親子連れ、クラスメイト、または個人でなど参加は自由です。
皆気ままに各自のスタイルで参加しています。
ご興味のある方はぜひ参加されてみてはいかがでしょうか。
実際に環境の破壊された風景の中に立ち、そこに木を植えるというプロセスは、
すごいインパクトがあり、環境についていろいろ考えるきっかけにもなります。
早春のわたらせ渓谷鐵道も、とっても気持ちがいいですよ。
植林の後の散策には、足尾町内では「小滝の里」がお勧めです。
禿げ山と対照的な豊かな森には、所々に銅山の史跡が眠っていたりして、
ちょっとミステリアスでそそられます。
くわしくは下記をどうぞ!
足尾に緑を育てる会HP http://www.ashio-midori.com/

写真:公害で緑を失い木の根だけが残る山肌。photo:m.ishii
「公害の原点」と呼ばれる足尾銅山で、ボランティア(自由参加)による植林があります。
足尾銅山は現在は閉山していますが、操業時に銅の精錬により排出される亜硫酸ガスが森の生命を奪い、現在でも殺伐とした広大な禿げ山が広がっています。
そこに渡良瀬川流域の市民らが「公害の原点である足尾に木を植えることによって環境問題を考えよう」と始めたのが、この植林です。
今年で12年目を迎え、皆の共感を呼び、参加者も1000人を超えるようになりました。
環境保護団体の他、親子連れ、クラスメイト、または個人でなど参加は自由です。
皆気ままに各自のスタイルで参加しています。
ご興味のある方はぜひ参加されてみてはいかがでしょうか。
実際に環境の破壊された風景の中に立ち、そこに木を植えるというプロセスは、
すごいインパクトがあり、環境についていろいろ考えるきっかけにもなります。
早春のわたらせ渓谷鐵道も、とっても気持ちがいいですよ。
植林の後の散策には、足尾町内では「小滝の里」がお勧めです。
禿げ山と対照的な豊かな森には、所々に銅山の史跡が眠っていたりして、
ちょっとミステリアスでそそられます。
くわしくは下記をどうぞ!
足尾に緑を育てる会HP http://www.ashio-midori.com/

写真:公害で緑を失い木の根だけが残る山肌。photo:m.ishii
2007年04月20日 (金) | 編集 |

初めての畑の耕うん作業。
堆肥と石灰を撒いて、それらを土に馴染ませるために耕うんをする。
10mx10mの畑にバーク堆肥100kgと苦土石灰20kgをせっせと撒く。
バーク堆肥は樹皮などを発酵させてつくられた肥料だ。
まるで森の土のよう。
初めてなのでJA三鷹で買ってきたけれど、
お金を出してお店で既製品を買ってくるのは、
やはり土について理解が深まらないし、
なんだか不自然な気がする。
いずれ自分でつくってみたい。
武蔵野の落ち葉を山のようにかき集めて・・・
想像するだけで楽しそうだ。
堆肥と石灰を撒いてからが、さあ大変だ。
耕耘機も貸してはくれるが、まだ使い方が分からないので、
クワで人力で耕うんだ。
実はこの日はたぶん、耕うんには向かない日だと、やる前からは分かっていた。
昨晩の雨で土が濡れ、重いのだ・・・
何日か待てば晴れるし、土も乾いてくるだろう。
でも、その日には撮影の仕事を入れなければならない。
撮る被写体は新築住宅の外観で、
写真の善し悪しは青空とさわやかな日差し次第なのだ。
それも、最近の雨で撮影延期が続いていて仕事も遅れ気味。
晴れた日は全て撮影に費やさなければならない。
だから、たとえ土が重くとも、今日しか耕す日はない。
それも午後からまた雨の予報だから、急がなくては!
「晴耕雨読」といけばいいけれど、
これでは「晴撮雨耕」になりかねない。
4本グワで耕し始めたが、慣れないし土は重いしでヨロヨロだ。
結局手に大きな豆をつくって、4回も休憩して、2時間半かけて耕し終えた。
湿った土を掘り返すと大きな塊になってしまいがちなので、
レーキで塊を砕いて成らしたりと、よけいな手間もかかってしまった。
もっと天気を選べればなあ...
これで1週間程土を馴染ませてから、種蒔きや植え付けの開始だ。
さあ、何を植えよう・・・


帰りは着替えてスターバックスカフェで一服。
07.4.17 曇りのち雨
2007年04月18日 (水) | 編集 |
No Challenge,No Life!
日本語で訳すと『農チャレンジ、農ライフ。』

ついに畑始めです。
先週の土曜日は、「都民のための実践農業セミナー」の開講式。
これから2年間、10mx10mの畑を耕しながら、野菜づくりについての講義や実習を受けることになります。
(といっても今のカメラマンの仕事は決してやめませんヨ!!)
これは東京都が「未活用農地と都民の農的活動を結びつけるため、自ら耕作できる技術を持った人材を育てる」ことを目的としたセミナーで、昨年から始められました。僕らは2期生となります。
このセミナーをインターネットで知って、
「都内で今の仕事もそのまま続けながら土いじりができるなんて!それも市民農園での区画の何倍もの面積の畑を貸してもらえる。それもアドバイザーさんがついて教えてくれるなんて、これは贅沢すぎる!!」と飛びついたのでした。
いざ初日。
張り切ってこの日を待っていたのに、初日の開講式早々30分の大遅刻!
(決して前日の飲み会が原因ではありません。中央道が事故で大渋滞。)
お偉い方々の貴重なスピーチをことごとく聞き逃してしまいました。
その後はセミナー自治会の総会、そして初講義。
東京農大の教授のなかなか中身の濃い講義です。
今日は土づくりについて。
日本の雨はもともと酸性度が強いのだということや、土の団粒構造がとても重要なのだということなどなど。
春のポカポカの心地よさについ居眠り。
各自の畑の作付け輪作予定表の作成が課題として出されました。
午後からついに畑で実習です。
一期生の畑の間を抜け、実習農場へ。
なんとまあその農場の生き生きしていることでしょう。

昨年の1期生も今年の50人の2期生も、定年退職をした中高年の方々がほとんどです。
20〜30歳代とお見受けする方はほんの1割ぐらいでしょうか。
現役のお勤め人は、平日の昼間も費やさなければならないこのセミナーはやはり難しいのでしょう。フリーランスはその辺が自由でいいのですね。
いざ畑に足を踏み入れると、どうもそわそわ・・・何だかじわじわと違和感が・・・。
普段はカメラを持って都市のピカピカのインテリアばかり撮影している日常から突如一変!畑の真っただ中にクワを持って立っている自分!!
だが、この新しい環境の中での違和感こそが脳みそを活性化させるのだ!

アドバイザーさんからまず農具の種類と使い方の指導を受けました。
当たり前のことですが、農具もアマチュア用とプロ用がありますが、与えられた100平々の畑を耕すにはプロ用の農具は必須!
作業効率も疲れ方もぜんぜん違うのだそうです。
クワはアマチュア用はステンレスなどで極力軽くつくられているのですが、それでは腕の力で強く降り下ろさなければ深くまで耕せず、かえって疲れるとのこと。プロ用は重い分、自然に振り下ろすだけで、しっかり土に食い込んでくれるのです。
でも値段の高いのにびっくり!!
クワ1本だけでも2万円近くもするのです。(Jマートでは1700円だったのに!)
それを他にも4本グワやレーキなど5〜6本揃えなければならない。
僕もカメラマンという職業上、道具の善し悪しで仕事の効率や質が大変違ってくることを日々実感している身の上。やることは違えど道具の大切さは一緒なんだなあと実感。
いい道具を買えば一生使えるし、明日にでも買いに行くとするか。

実習は最初の土づくりとして、バーク堆肥と石灰を畑に撒き、4本クワと耕耘機で耕うんする作業から始まりました。
それから、大根の種蒔きの一連の作業。畝をつくってマルチ敷いて、穴に3粒ほど種を撒いて..おっ、これはやったことがある!
学生時代に毎年通っていた農家の住み込みアルバイトでの経験が、じわじわと蘇ってきました。もう15年も前のこと。
その後トマトの苗を植え付ける前の下準備などを教わり、本日の実習は終了。
それからは、各自の畑での作業の始まりです。
自分の畑とついにご対面!
僕の畑は大きな榎の木の横にありました。
この木はいい。涼しい木陰を提供してくれることでしょう。
それにしても空が広い!農場の向こうには、なだらかに隆起した牧草地が続いています。
「この風景だけでも大きな価値がある。東京でこんな牧歌的風景を満喫しながら野菜づくりができるなんて。何度考えてもこんな贅沢はそうあるもんじゃない・・・。」

などと感嘆にふけっていましたが、冷静になって畑を見ると、雑草だらけ!
今日は農具が不備で作業はできないから、せめて草取りをして帰ることにしました。
草だらけだった畑は、2時間経って眺め直すと、ただただ足跡だらけ。

すれ違う人たちとも、雑草の多さを嘆きながらもその声が皆一様に明るいのは、自分の畑を持てた喜びからでしょう。
辺りはもう夕闇が迫っていました。
菜の花畑の向こうの西の空は、オレンジのグラデーションがどんどん濃くなってゆきます。

敷地の北側は新興住宅地が迫っていて、闇の到来とともに輝き始めた街の明かりもなかなか奇麗でした。
ここはいい風景です・・・
これは確実に僕の五感を刺激してくれることでしょう。
今までと確実に違うのは、
その風景が単に写真のモチーフとしての視覚的な対象なのでなく、
体で触れて感じる対象になり、
そうやってその風景の一部を、自らの手で育ててもゆくのだということです。
第一日目終了。
さて次はどんな作業が待っているのでしょう。
日本語で訳すと『農チャレンジ、農ライフ。』

ついに畑始めです。
先週の土曜日は、「都民のための実践農業セミナー」の開講式。
これから2年間、10mx10mの畑を耕しながら、野菜づくりについての講義や実習を受けることになります。
(といっても今のカメラマンの仕事は決してやめませんヨ!!)
これは東京都が「未活用農地と都民の農的活動を結びつけるため、自ら耕作できる技術を持った人材を育てる」ことを目的としたセミナーで、昨年から始められました。僕らは2期生となります。
このセミナーをインターネットで知って、
「都内で今の仕事もそのまま続けながら土いじりができるなんて!それも市民農園での区画の何倍もの面積の畑を貸してもらえる。それもアドバイザーさんがついて教えてくれるなんて、これは贅沢すぎる!!」と飛びついたのでした。
いざ初日。
張り切ってこの日を待っていたのに、初日の開講式早々30分の大遅刻!
(決して前日の飲み会が原因ではありません。中央道が事故で大渋滞。)
お偉い方々の貴重なスピーチをことごとく聞き逃してしまいました。
その後はセミナー自治会の総会、そして初講義。
東京農大の教授のなかなか中身の濃い講義です。
今日は土づくりについて。
日本の雨はもともと酸性度が強いのだということや、土の団粒構造がとても重要なのだということなどなど。
春のポカポカの心地よさについ居眠り。
各自の畑の作付け輪作予定表の作成が課題として出されました。
午後からついに畑で実習です。
一期生の畑の間を抜け、実習農場へ。
なんとまあその農場の生き生きしていることでしょう。

昨年の1期生も今年の50人の2期生も、定年退職をした中高年の方々がほとんどです。
20〜30歳代とお見受けする方はほんの1割ぐらいでしょうか。
現役のお勤め人は、平日の昼間も費やさなければならないこのセミナーはやはり難しいのでしょう。フリーランスはその辺が自由でいいのですね。
いざ畑に足を踏み入れると、どうもそわそわ・・・何だかじわじわと違和感が・・・。
普段はカメラを持って都市のピカピカのインテリアばかり撮影している日常から突如一変!畑の真っただ中にクワを持って立っている自分!!
だが、この新しい環境の中での違和感こそが脳みそを活性化させるのだ!

アドバイザーさんからまず農具の種類と使い方の指導を受けました。
当たり前のことですが、農具もアマチュア用とプロ用がありますが、与えられた100平々の畑を耕すにはプロ用の農具は必須!
作業効率も疲れ方もぜんぜん違うのだそうです。
クワはアマチュア用はステンレスなどで極力軽くつくられているのですが、それでは腕の力で強く降り下ろさなければ深くまで耕せず、かえって疲れるとのこと。プロ用は重い分、自然に振り下ろすだけで、しっかり土に食い込んでくれるのです。
でも値段の高いのにびっくり!!
クワ1本だけでも2万円近くもするのです。(Jマートでは1700円だったのに!)
それを他にも4本グワやレーキなど5〜6本揃えなければならない。
僕もカメラマンという職業上、道具の善し悪しで仕事の効率や質が大変違ってくることを日々実感している身の上。やることは違えど道具の大切さは一緒なんだなあと実感。
いい道具を買えば一生使えるし、明日にでも買いに行くとするか。

実習は最初の土づくりとして、バーク堆肥と石灰を畑に撒き、4本クワと耕耘機で耕うんする作業から始まりました。
それから、大根の種蒔きの一連の作業。畝をつくってマルチ敷いて、穴に3粒ほど種を撒いて..おっ、これはやったことがある!
学生時代に毎年通っていた農家の住み込みアルバイトでの経験が、じわじわと蘇ってきました。もう15年も前のこと。
その後トマトの苗を植え付ける前の下準備などを教わり、本日の実習は終了。
それからは、各自の畑での作業の始まりです。
自分の畑とついにご対面!
僕の畑は大きな榎の木の横にありました。
この木はいい。涼しい木陰を提供してくれることでしょう。
それにしても空が広い!農場の向こうには、なだらかに隆起した牧草地が続いています。
「この風景だけでも大きな価値がある。東京でこんな牧歌的風景を満喫しながら野菜づくりができるなんて。何度考えてもこんな贅沢はそうあるもんじゃない・・・。」

などと感嘆にふけっていましたが、冷静になって畑を見ると、雑草だらけ!
今日は農具が不備で作業はできないから、せめて草取りをして帰ることにしました。
草だらけだった畑は、2時間経って眺め直すと、ただただ足跡だらけ。

すれ違う人たちとも、雑草の多さを嘆きながらもその声が皆一様に明るいのは、自分の畑を持てた喜びからでしょう。
辺りはもう夕闇が迫っていました。
菜の花畑の向こうの西の空は、オレンジのグラデーションがどんどん濃くなってゆきます。

敷地の北側は新興住宅地が迫っていて、闇の到来とともに輝き始めた街の明かりもなかなか奇麗でした。
ここはいい風景です・・・
これは確実に僕の五感を刺激してくれることでしょう。
今までと確実に違うのは、
その風景が単に写真のモチーフとしての視覚的な対象なのでなく、
体で触れて感じる対象になり、
そうやってその風景の一部を、自らの手で育ててもゆくのだということです。
第一日目終了。
さて次はどんな作業が待っているのでしょう。
2007年04月05日 (木) | 編集 |
畑を耕すことに決まって、今年の春はなんだかとても新鮮な気持ちです。
そのうち調子に乗って、農業を始めてしまうかもしれません。
いや、初めちゃってもいいと思う。面白そうだ。
その時のために今何をしたら良いのか考えました。
そしてまずやったことが、「身内を巻き込む」ことです。
実家の両親に幾つかの相談をしに帰郷しました。
30半ばを過ぎた男が何か新しいことを始める時に、
わざわざ隠居間近の両親に相談することもあまりないでしょう。
でも農業をやろうというときは、仕事柄、身内の理解協力が不可欠なのです。
その人間関係が農の世界の面白さでもあります。
「ちょっと相談がある!」
と突然父に電話し、その後実家に帰省し、両親にこれこれこういうことだからいずれ農業を始めるかもしれないことを述べました。
両親は「なんだ〜!仕事が傾いたから、親の年金を当てに帰ってきたのかと思った。」と冗談を言いながらも、かえって僕が農業をやることを面白がってくれました。何か手伝いたいぐらいの勢いでしたので、ホッとしました。
今回両親と会ったのは、そういう報告をしておこうという目的もあったのですが、
実はそれより何より押さえておかなければならない重要案件があったからなのです。
さて「農業を始めよう!」という人々にとって一番気がかりな問題は何でしょうか?
「耕す土地が手に入るか」どうかです。
とにかく今の日本の農業事情で「農業を意欲的に取り組もうとする人に対して土地が行き渡らない」という問題は深刻なのです。(その理由は3/21のブログに書いた通りです。)
特に都市近郊の農地は宅地などに転用売却され、ものすごい勢いで減っています。
僕の実家は祖父の代まで農家をしていて、幸いにもまだその農地が残されています。
長年趣味の家庭菜園として維持(事実上は遊休農地?)しているのですが、
例に漏れず僕の両親も、この農地が開発の網に引っかかって転用地として高く売れる日が来ることを、少なからず期待し続けているのです。悲しい現実です。
僕は父に「今の畑はいずれ使うから絶対売らないように!!」と強くお願いをしました。
一応同意はしてくれましたが、畑の周囲ではどんどん大規模ニュータウン開発が進んでいるので、土地の転用売却の危機は、今後も常につきまとうでしょう。
また、「今の畑では耕作面積が足りないので、いずれ周囲の畑を知り合いの農家から貸してもらうことはできないか」と訪ねました。
すると、
「そんなもん、いくらで貸してもらえるよ」とのこと。
「そ、そんな簡単に貸してもらえるの?」
という問いに対して父が話してくれた内容に、唖然としてしまいました。
話はこうです。
『今、町では農業の後継者がなくて、耕しているのはもうずいぶん前からおじいさんおばあさんばかりだが、その人たちもどんどん耕すのをやめている。ウチの家庭菜園の周りの畑は、耕せる人がほとんどいなくなった。でも休耕地になってしまわないように、一人のおじいさんが何件もの農家の畑を耕してやっている』というのです。
だから、「耕す人がいるのなら農家は喜んで貸してくれるだろう」と言うのです。
こんなことだから、そのおじいさんの耕す畑の生産効率など良いはずもなく、
「一反歩(33mmx33m)につき儲けが年間10万円ぐらい」なんだそうで、
商売としては全然なりたっていないそうです。
市場へは出荷しているものの、息子たちが別の仕事をして稼いでくるし、農業での売り上げはお小遣い程度としか考えていないようです。
そうしてまで耕作を続けている理由は、荒れ地にしないように管理するためというのが現実でしょう。
いちど耕作をやめると、日本の温暖湿潤な気候では植物の生育が旺盛なので、あっというまに薮に覆われてしまいます。
跡取りもいない。作っても儲からない。
そうなってくると農家の方々は、農地を維持しながら、いずれその農地が高く転用売却されることに期待を寄せるようになります。
農地として売却や譲渡は絶対にしないのに、
転用して売れるとなれば、ここぞとばかりにすぐに売ってしまうのです。
(農地として売るのと宅地として転用して売るのでは、一桁も値段が違うのです。)
自らの農業で期待するのはそういう「耕すこと以外からの収入」ということになってしまっています。
それはもう少なくとも実家の町では公然の事実で、実際農家らの間では、「xxxさんの畑が道路開発に引っかかって、xxx円で買い上げられた。そのお金で最近息子の立派な家を建てた。」とか、そんな話題ばかりなのです。
田園風景、優良農地は残しておきたいという声が多いなか、肝心の地主である農家の方々は、むしろ開発を歓迎する傾向にあるのです。
(自分の故郷の人々をこのように言うのはつらいことですが、でもこれが避けられない現実なのです。もちろんすべての農家の方がそうではありませんが)
一度農地を転用して宅地などに開発してしまえば、
そこは二度と農地には戻らないでしょう。
ショッキングな話です。
僕の故郷は今も穏やかな農の生きる町だとばかり呑気に思っていたら、
実情はそんなにボロボロだったのです・・・。
こんな状況は決して僕の町に限ったことではないでしょう。
それどころか、日本全土でこのような事態が進行しているのです。
もし農業をやるとしたら、自分の故郷であれば意外に簡単に土地は貸してもらえることが分かり、その件に関しては多少なりともホッとしました。
でも実家の町の農業、日本の農業、ホント危ないんじゃないか?
どうなってしまうんだろう・・・
と思い、勉強を始めるきっかけにもなりました。
農家の方々の耕作意欲を減退させ、後継者を断ち切らせ、あげくの果てに大切な農地の転用売却収入を当てにするようにさせてしまった日本の農業の仕組みって何なんでしょう。
農政のことを考えると、ちょっと暗くなりがちです。
でも、それでもやってみたいなと思う程、今は農に魅力を感じていますが。

photo:masayoshi ishii kouhoku-ku kanagawa-ken
そのうち調子に乗って、農業を始めてしまうかもしれません。
いや、初めちゃってもいいと思う。面白そうだ。
その時のために今何をしたら良いのか考えました。
そしてまずやったことが、「身内を巻き込む」ことです。
実家の両親に幾つかの相談をしに帰郷しました。
30半ばを過ぎた男が何か新しいことを始める時に、
わざわざ隠居間近の両親に相談することもあまりないでしょう。
でも農業をやろうというときは、仕事柄、身内の理解協力が不可欠なのです。
その人間関係が農の世界の面白さでもあります。
「ちょっと相談がある!」
と突然父に電話し、その後実家に帰省し、両親にこれこれこういうことだからいずれ農業を始めるかもしれないことを述べました。
両親は「なんだ〜!仕事が傾いたから、親の年金を当てに帰ってきたのかと思った。」と冗談を言いながらも、かえって僕が農業をやることを面白がってくれました。何か手伝いたいぐらいの勢いでしたので、ホッとしました。
今回両親と会ったのは、そういう報告をしておこうという目的もあったのですが、
実はそれより何より押さえておかなければならない重要案件があったからなのです。
さて「農業を始めよう!」という人々にとって一番気がかりな問題は何でしょうか?
「耕す土地が手に入るか」どうかです。
とにかく今の日本の農業事情で「農業を意欲的に取り組もうとする人に対して土地が行き渡らない」という問題は深刻なのです。(その理由は3/21のブログに書いた通りです。)
特に都市近郊の農地は宅地などに転用売却され、ものすごい勢いで減っています。
僕の実家は祖父の代まで農家をしていて、幸いにもまだその農地が残されています。
長年趣味の家庭菜園として維持(事実上は遊休農地?)しているのですが、
例に漏れず僕の両親も、この農地が開発の網に引っかかって転用地として高く売れる日が来ることを、少なからず期待し続けているのです。悲しい現実です。
僕は父に「今の畑はいずれ使うから絶対売らないように!!」と強くお願いをしました。
一応同意はしてくれましたが、畑の周囲ではどんどん大規模ニュータウン開発が進んでいるので、土地の転用売却の危機は、今後も常につきまとうでしょう。
また、「今の畑では耕作面積が足りないので、いずれ周囲の畑を知り合いの農家から貸してもらうことはできないか」と訪ねました。
すると、
「そんなもん、いくらで貸してもらえるよ」とのこと。
「そ、そんな簡単に貸してもらえるの?」
という問いに対して父が話してくれた内容に、唖然としてしまいました。
話はこうです。
『今、町では農業の後継者がなくて、耕しているのはもうずいぶん前からおじいさんおばあさんばかりだが、その人たちもどんどん耕すのをやめている。ウチの家庭菜園の周りの畑は、耕せる人がほとんどいなくなった。でも休耕地になってしまわないように、一人のおじいさんが何件もの農家の畑を耕してやっている』というのです。
だから、「耕す人がいるのなら農家は喜んで貸してくれるだろう」と言うのです。
こんなことだから、そのおじいさんの耕す畑の生産効率など良いはずもなく、
「一反歩(33mmx33m)につき儲けが年間10万円ぐらい」なんだそうで、
商売としては全然なりたっていないそうです。
市場へは出荷しているものの、息子たちが別の仕事をして稼いでくるし、農業での売り上げはお小遣い程度としか考えていないようです。
そうしてまで耕作を続けている理由は、荒れ地にしないように管理するためというのが現実でしょう。
いちど耕作をやめると、日本の温暖湿潤な気候では植物の生育が旺盛なので、あっというまに薮に覆われてしまいます。
跡取りもいない。作っても儲からない。
そうなってくると農家の方々は、農地を維持しながら、いずれその農地が高く転用売却されることに期待を寄せるようになります。
農地として売却や譲渡は絶対にしないのに、
転用して売れるとなれば、ここぞとばかりにすぐに売ってしまうのです。
(農地として売るのと宅地として転用して売るのでは、一桁も値段が違うのです。)
自らの農業で期待するのはそういう「耕すこと以外からの収入」ということになってしまっています。
それはもう少なくとも実家の町では公然の事実で、実際農家らの間では、「xxxさんの畑が道路開発に引っかかって、xxx円で買い上げられた。そのお金で最近息子の立派な家を建てた。」とか、そんな話題ばかりなのです。
田園風景、優良農地は残しておきたいという声が多いなか、肝心の地主である農家の方々は、むしろ開発を歓迎する傾向にあるのです。
(自分の故郷の人々をこのように言うのはつらいことですが、でもこれが避けられない現実なのです。もちろんすべての農家の方がそうではありませんが)
一度農地を転用して宅地などに開発してしまえば、
そこは二度と農地には戻らないでしょう。
ショッキングな話です。
僕の故郷は今も穏やかな農の生きる町だとばかり呑気に思っていたら、
実情はそんなにボロボロだったのです・・・。
こんな状況は決して僕の町に限ったことではないでしょう。
それどころか、日本全土でこのような事態が進行しているのです。
もし農業をやるとしたら、自分の故郷であれば意外に簡単に土地は貸してもらえることが分かり、その件に関しては多少なりともホッとしました。
でも実家の町の農業、日本の農業、ホント危ないんじゃないか?
どうなってしまうんだろう・・・
と思い、勉強を始めるきっかけにもなりました。
農家の方々の耕作意欲を減退させ、後継者を断ち切らせ、あげくの果てに大切な農地の転用売却収入を当てにするようにさせてしまった日本の農業の仕組みって何なんでしょう。
農政のことを考えると、ちょっと暗くなりがちです。
でも、それでもやってみたいなと思う程、今は農に魅力を感じていますが。

photo:masayoshi ishii kouhoku-ku kanagawa-ken
2007年04月03日 (火) | 編集 |
5年後に農業を始める・・・かもしれません。たぶん。。
理由は前回おおまかに書きました。
とりあえずこれからは、畑はライフスタイルの一環として耕します。
さてそろそろはじめるか!と具体的に思ったのは最近ですが、
もう15年も遡って、美大生時代に建築を学んでいたころから、「農」へ気持ちは向いていたのかもしれません。
卒業制作の自由課題で、僕は「エコロジー住宅都市」の設計を選びました。
時はバブルの真っ最中、消費礼賛の風潮のなか、「エコロジー」を口にするものなど当時いませんでした。他の学生たちの選んだテーマは、「ポストモダン」をはじめ当時流行の「デコンストラクション」「ハイテック」の風潮に乗ろうとしているものばかりで、80人いた建築学生のなかで僕一人しかエコロジーを全面に出したものがいなかったのは、今では考えられないことかもしれませんね。でも当時はそうだったのです。
15年前の僕が未来の「エコロジー住宅都市」で必要と考えたのが、「都市」と「農」をより近く結びつけることでした。
都市近郊でも農業生産を活発化させれば流通をよりシンプルに直結させられるし、緑地として防災やヒートアイランド防止、空気清浄、雨水浸透の機能もある。何より農は生産活動だけでなく人々の憩いにもなる。無機質なコンクリートジャングルから解放されるし、人間以外の動植物、生命に触れる機会も増えて、感性も豊かになるかな?なんて。(都市住民がそれを望んでいるかは分かりませんが)
そこで建築家のお偉い教授さんたちのまえで、中間発表としてプレゼンテーションしたのが下の合成写真!(再現)
結構ウケました。
「この女性たちが拾っているのは、ゴミですか?」
と、意地悪な質問をしてくる先生もいましたっけ。
その後僕の課題は住宅という単位に移り、単体の都市ユニットとして緑地と水辺を備えたバッシブソーラーハウスを考案し、かなり大きな模型をつくって光や風の取り込み方や、自然換気の実験をしたりしました。
今でも思いますが、住宅は「作品」としてつくるのではなく「生きもの」としてつくるべきだと思います。
話はそれましたが、僕にとって「農」は、すでに学生時代から組むべきテーマとしてぼんやりと浮上してきていたわけです。
下:卒業制作の恥ずかしいプレゼンテーションの再現
「ゴミ拾い」ではなく「落ち穂拾い」。
前景:ミレー 背景:photo:m.ishii

理由は前回おおまかに書きました。
とりあえずこれからは、畑はライフスタイルの一環として耕します。
さてそろそろはじめるか!と具体的に思ったのは最近ですが、
もう15年も遡って、美大生時代に建築を学んでいたころから、「農」へ気持ちは向いていたのかもしれません。
卒業制作の自由課題で、僕は「エコロジー住宅都市」の設計を選びました。
時はバブルの真っ最中、消費礼賛の風潮のなか、「エコロジー」を口にするものなど当時いませんでした。他の学生たちの選んだテーマは、「ポストモダン」をはじめ当時流行の「デコンストラクション」「ハイテック」の風潮に乗ろうとしているものばかりで、80人いた建築学生のなかで僕一人しかエコロジーを全面に出したものがいなかったのは、今では考えられないことかもしれませんね。でも当時はそうだったのです。
15年前の僕が未来の「エコロジー住宅都市」で必要と考えたのが、「都市」と「農」をより近く結びつけることでした。
都市近郊でも農業生産を活発化させれば流通をよりシンプルに直結させられるし、緑地として防災やヒートアイランド防止、空気清浄、雨水浸透の機能もある。何より農は生産活動だけでなく人々の憩いにもなる。無機質なコンクリートジャングルから解放されるし、人間以外の動植物、生命に触れる機会も増えて、感性も豊かになるかな?なんて。(都市住民がそれを望んでいるかは分かりませんが)
そこで建築家のお偉い教授さんたちのまえで、中間発表としてプレゼンテーションしたのが下の合成写真!(再現)
結構ウケました。
「この女性たちが拾っているのは、ゴミですか?」
と、意地悪な質問をしてくる先生もいましたっけ。
その後僕の課題は住宅という単位に移り、単体の都市ユニットとして緑地と水辺を備えたバッシブソーラーハウスを考案し、かなり大きな模型をつくって光や風の取り込み方や、自然換気の実験をしたりしました。
今でも思いますが、住宅は「作品」としてつくるのではなく「生きもの」としてつくるべきだと思います。
話はそれましたが、僕にとって「農」は、すでに学生時代から組むべきテーマとしてぼんやりと浮上してきていたわけです。
下:卒業制作の恥ずかしいプレゼンテーションの再現
「ゴミ拾い」ではなく「落ち穂拾い」。
前景:ミレー 背景:photo:m.ishii

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