樹木は素敵なアーティスト。落ち葉と戯れるちょっと心地よい一日。 ウィーン旅行記、初めての野菜づくりの体験記も。コメントお待ちしてます!  
秋の小岩井農場 パート2
2007年11月29日 (木) | 編集 |
(c)m.ishii




ミズナラ
2007.11  Koiwai Iwate
photo:m.ishii
秋の小岩井農場 パート1
2007年11月27日 (火) | 編集 |
「ラリックス ラリックス いよいよ青く
雲はますます縮れてひかり
わたくしは かっきりみちをまがる」


(c)m.ishii


僕はこの宮沢賢治の詩「小岩井農場」の
最後のしめくくりの部分が、たまらなく好きなのです。
賢治が好きだったカラマツを、
その学名で「ラリックス ラリックス」(リラックマではない)と繰り返すだけで、
なんて異国的に響くことか・・・
それから賢治は、どこで道を「かっきり」曲がったのでしょう。
ほんの3行の短い文なのに、いろいろ想像力が膨らみます。

その小岩井農場へ。
盛岡から郊外に延びる国道を車で15分ほど走った辺りで
案内板に従い右に曲がると、
突然視界は開けて、遠くまで続くなだらかな牧草地に広い空。
車はそのまま異国の風景の真っ只中に飛び込みます。

小雨降る中をカッパをがっしりと着込んで、
カラマツの並木の下や、周辺の林を散策しました。


(c)m.ishii




賢治が
「ネクタイピンにほしいくらいだ」
と詩で語ったカラマツの葉や
針葉樹の落ち葉がふかふかに積もって、
その上に顔を出したツタウルシの幼木が
一人前に色付き始めていました。

「ラリックス ラリックス・・・」
雨の小岩井農場を歩きながら繰り返していたら、
もう止まらない・・・クセになってしまった!!



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つづく

m.ishii  2007.11
引用:宮沢賢治著 新編宮沢賢治詩集より「小岩井農場 パート九」 新潮文庫
銀のすすきの波から
2007年11月26日 (月) | 編集 |
岩手県花巻市の田園地帯。

(c)m.ishii



宮沢賢治の創作活動のフィールドであった花巻郊外を歩きました。


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「なめとこ山の熊」や「鹿踊りのはじまり」に出てくる「鉛温泉」の近くまで、
4時間ほどかけて、寄り道をしながら歩きました。


(c)m.ishii



宮沢賢治の教え子さんの話では、
この辺りを賢治は農学校の生徒らを引き連れて、よく散歩をしたといいます。

当時、ここにはススキの平原が広がっていて、
賢治先生は生徒さんといっしょにススキの穂を丸く輪にして、
キキョウ、オミナエシなどを刺して、花輪にして首にかけて遊んだのだそうです。

賢治先生は、花輪を首にかけて、両手を上に挙げて、
子供のように「ホーッ、ホーッ」と叫びながらススキの平原を歩きました。

だけど今、歩いてみると、
田んぼとリンゴ畑の他は宅地が広がるばかり、
ススキの平原は、ありません。


(c)m.ishii



ああ、もうみんな変わってしまったんだ・・・帰ろうか、
いや、もう少し歩こう・・・と豊沢川の上流に進むと、
そこには、ささやかながら、ススキ野原が残されていました。

「ススキ野原に会えた!  まだ残っていたんだ!!」

と、喜んだのも束の間、よく眺めてみると、
ススキの向こうには、新興住宅地の家々の真新しい屋根たちが迫っています。
ここはもう、宅地に開発され、消えてゆく運命にあるのかもしれません。

ススキ、ススキ、会えた会えた。
ここでお昼だ。おにぎりを食べよう。
ススキ野原の手前の田んぼのあぜ道に腰を下ろすと、
背後の家々は、背の高いススキに隠れて見えなくなりました。
ススキの向こうには、「なめとこ山の熊」の舞台にもなった山々が望めます。
賢治の時代に広がっていた風景は、こういうものだったのかな?と、
少し体感できたような気がしました。

(c)m.ishii


ススキは、本当に銀色に輝いていました。
光の粒子で満たされていました。
「銀色に輝く」とは、こういうことか・・・

それは、言葉でしか表現できないものでした。


(c)m.ishii



決して写真に写らない、銀色の輝き。
それが写らないのが分かっていながら、
ああ、どうして僕は、写真を撮るのだろう・・・

僕の敬愛する動物写真家、星野道夫も言っていたっけ。
「一番美しいところは、カメラを置いて、目に焼き付けるんだ。」と。
そう、写真を真摯に志す人は、
決して写らない美しさがあることを、知っているのです。

宮沢賢治の童話の世界には、
当時の風景が、生き生きとした文章で語られています。

そうやって賢治が、魔法のような魅惑的な言葉を書き残したことによって、
世界がその後いくら変わろうとも、
風景は永遠に不滅の映像となって、焼き付けられたのです。

写真で残されていなくても、
言葉が、風景を新鮮なまま、
永遠に消えることない映像として焼き付けているのです。

かえって写真には、言葉よりも不自由で、
言葉の風景よりも、写らないものもある。
でも言葉を超えられることも、たまにあるんだ・・・・

ぶつぶついいながら、結局僕は写真を撮り続ける。
世界と僕との距離を埋めるために。


(c)m.ishii



Hanamaki Iwate 2007.11
(c)m.ishii




逃げるネコ、追う自分。
2007年11月23日 (金) | 編集 |
岩手県、花巻の田舎で、
ネコが道の真ん中を歩いています。

(c)m.ishii



ネコに近づこうとしたら、逃げ出しました。
走る! 走る!


(c)m.ishii



いつもネコが逃げると、ついつい追いかけてしまいます。
待てっ!逃げなくてもいいじゃんかっ!

ネコは慌てて、薮の中にザザッと突進!


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そして薮越しに、僕をジーッとにらみつけます。
ネコと僕との間に、ピンと張りつめた空気・・・

僕が一歩でも距離を詰めようものなら、
ものすごい勢いでガーッと走り出すのは分かっています。

仕方ない、引き上げるか・・・

いつも結末はこんな感じ。


(c)m.ishii


ああ、今日もまた、ネコを追いかけてしまった。


m.ishii


足尾銅山 禿山が紅葉に色付くとき。
2007年11月18日 (日) | 編集 |
(c)m.ishii



「何だか夢のようだ・・・。
   まさか紅葉が楽しめるなんて。」

上の紅葉の写真は、それを取り巻く背景を知らなければ、
ありきたりの風景として片付けられてしまうかもしれません。

でもここが、「10年前は草木の生えない死の山」だったと知ったらどうでしょう?

(c)m.ishii


そう、ここは公害の原点、足尾銅山。
写真の木々は、工場の亜硫酸ガスの煙害で森を失い、生態系の死に絶えた山を、
市民たちが10年前より集まって植林を続けてきたところのものなのです。

この市民の植林地の周囲には、まだまだ禿げ山が残っています。
下の写真の山肌の上方は、公害による荒廃地。まだ手つかずのまま広がっています。
下方は市民が育てた木々が生える山です。
そのなんとまあ表情が違うことでしょう。

(c)m.ishii



11月11日は、植林地の秋の観察会。
朝から雨で、皆は色とりどりのカラフルなレインコートを着て集まりましたが、
木々はそれに負けないぐらい、なかなか鮮やかな紅葉ぶりです。


(c)m.ishii



初年度から今年までに植えた木々の成長を、
会長の神山英昭さんの先導で、眺めて歩きました。
途中、雨が止み、辺りに日が射し始めました。
すると、森を殺した煙を吐いた精錬所を背景にして、
雨粒をいっぱい滴らせた木々たちが、キラキラと輝きました。


(c)m.ishii



僕は観察会の翌日、一人遠方から植林地を眺めてみました。

色付いた木々を遠く眺めているうちに、
毎年毎年、みんなが苦労して試行錯誤を繰り返し、
そして緑が増えるたびに皆の会話が弾み、笑顔になってゆくのを思い出していました。

10年前、市民が集まり植林を始めた時は、
国の公共事業でやっている植林でも困難を極めているのに、
素人が集まってやっても難しいんじゃないか・・・
と言われていました。
足尾の禿げ山は、表土が流れ去って地層がむき出しになり、
そのうえ酸性化していて、植物にとってはあまりにも過酷な土地なのです。

(c)m.ishii



「ひょっとしたら植えた木は枯れてしまうかもしれない。
   でも、みんなの心に木を植えるつもりで頑張ろう。」

最初は、そのように「成果」より「気持ち」優先でした。
でも年を重ねるごとに、その気持ちに共感してくれる人々が、
どんどん、どんどん、集まって来るようになったのです。

参加者はやがて遠方からも多く駆けつけるようになり、
たくさんの苗木や腐葉土が寄付されるようになりました。
また営林署の技術指導、国土交通省の植林地の整備、環境保護団体の合流・・・
ほんとうにいろんな人を巻き込みました。

近年、とうとう植林の参加者は、1000人を超えるようになりました。


(c)m.ishii



春の植樹会では、植林地が急斜面で苗木や客土を一人一人が歩いて運ぶのが困難なため、平地から植林地まで皆が一列になって、バケツリレーならぬ「苗木リレー」をやりました。
最初僕は記録係として、そのみんなの様子を撮影していましたが、いつのまにかカメラを置いて、苗木リレーの列に割り入って汗をかいていました。

そんなこんなを思い出しながら、

「よく色づいてくれた。
  この紅葉は、木々からの、みんなの努力へのご褒美かな。」

なんて思ったりして。


そしてまた植林地に戻り、
幾つかの落ち葉を拾って持ち帰ったのでした。


(c)m.ishii



たった10年で「緑が蘇った」なんて、まだまだ決して言えないでしょう。
失われた自然を取り戻すのは、そんなに容易ではありません。
100年後、200年後に蘇っているかもしれない森の「はじまり」を今、みんなはつくっているのです。


2007.11.11 足尾銅山 photo:masayoshi ishii

*上の葉っぱは全て足尾銅山の市民の植樹地「大畑沢」のものです。
*植林の主催は「足尾に緑を育てる会」です。
*落ち葉写真:上から コナラ、メグスリノキ、ハナミズキ
秋の畑
2007年11月15日 (木) | 編集 |
(c)m.ishii


ひよどり山の農場にて
足尾銅山に木を植えよう。秋編
2007年11月09日 (金) | 編集 |
公害で失われた森に、市民が本格的な植林を始めて11年。
足尾銅山の山肌には、どれだけ緑が蘇っているでしょうか?
11月11日の日曜日、植林した木々の観察会が開かれます。
今まで参加されたことのない方でも、自由に参加できます。


(c)m.ishii
(写真:2007年春の植樹会の風景)


只今ユネスコ世界遺産に登録申請中の足尾銅山。
10年前はただただ過疎の寂しい町と痛々しい禿げ山が
広がるばかりであったこの地が、
世界遺産の申請にまで盛り上がることができたのも、
この市民らの森の再生の活動があったからこそなのです。

貴重な体験をしに、ぜひ足尾銅山の植樹イベントに
訪れてみてはいかがですか?

以下が詳細のチラシです。
(主催:NPO法人 足尾に緑を育てる会)

初期に植えた木々は、もう背丈をゆうに越えるほど大きくなって、
きっと鮮やかな紅葉を見せてくれることでしょう。


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賢治を訪ねて4。今こそ賢治の意志を。
2007年11月08日 (木) | 編集 |
(c)m.ishii




眺めの良くて、気持ちのいい、僕が花巻で一番好きな場所。

そこは、宮沢賢治が自ら畑を耕しながら自給生活をした「羅須地人協会跡」。
彼はこの地で、農と芸術の融合の実践をしながら、理想に燃える月日を過ごしました。

高台になったこの場所からは、遠くまで続く田畑とその中をゆったり流れる北上川、
その向こうには北上の山々を見渡すことができます。(写真は曇り)
そんな展望の良さが、いつもどこか遠くを見ていた賢治を
きっと引きつけたに違いありません。



(c)m.ishii
(黒板のレプリカ。いろんな所にありますが、この場にあるのが正解)



宮沢賢治が実際に耕していた畑が近くにあって、
そこで賢治は、周囲の畑でだれかが農作業をしていれば、
真っ暗になっても決して先に帰ることはなかったというほど、
過労で体を壊し、それが亡くなる原因になってしまうまで、
まさに骨身を削って働いていました。

しかし、なぜ宮沢賢治はわざわざ
「ほんとうの百姓になる」と決意したのでしょか?


(c)m.ishii
(写真:賢治の愛した「ギンドロ」の葉っぱ)


宮沢賢治はもともと富豪の町民の出身、
それに賢治自身、農学校の教師として農業の厳しい現状をよく心得ていました。
だからわざわざ自ら農民にならず、家業を継ぐか、
そのまま教職、学者、研究者として留まることもできたでしょう。

しかし、賢治は街の人間として生きることを選ばず、
「農民」として生きる道を選びました。


厳しい農業の世界にあえて飛び込み、
自ら汗をかき、土にまみれて畑を耕すことにこだわったのです。

「それが賢治の自己犠牲の精神というものだ」
と言ってしまえばそれまででしょう。

でも僕は、同じく今年からささやかな畑を耕し始めた人間として、
そんな賢治が自ら耕作を望んだ理由、そして心境を、知りたいのです。


それに、農業の危機が叫ばれる現代の日本。
政治がおろそかにし続け、ボロボロになってしまった農業。
人々の「農」離れと「都市依存」も進んでいます。


そんな時だからこそ、宮沢賢治が
『ほんとうの百姓になってはたらく』
と決意し自ら鍬を振るったその意味を、考えてみる必要があるんじゃないか・・・


そこから「農業の価値」の深さというものが見えてくるような気がします。


僕自身は、ここで早急にその答えを見い出そうとは思いません。
自ら土を耕し、経験を重ねる中で考えてゆきたいから。

(c)m.ishii
(写真:ケヤキの根 羅須地人協会跡近く)

photo&text:m.ishii
2007.10.31 岩手県花巻市







賢治を訪ねて3。おおきなケヤキに再会
2007年11月06日 (火) | 編集 |
(c)m.ishii


わあっと思いっきり両手を広げたような、
大きなケヤキの木。

岩手県花巻で、宮沢賢治が農耕生活をしていた
『羅須地人協会跡』というところに行く途中にある。

ここに来るのは2回目だ。
6年前に来た時にあった農地はどんどん潰され、
新しい住宅が次々に建てられている。
しかしこのケヤキは、何も変わっていなかった。
ゆったりと構えて迎えてくれたので、
こちらもホッ、思わず気持ちが明るくなる。

樹齢はゆうに100年は越えているだろう。
きっと宮沢賢治も、この樹を見上げていたに違いない。


ケヤキの端正な樹形は、ホウキを逆さに立てたようだと言われるが、
そのケヤキの樹の根元に、竹箒が立てかけてある。
落ち葉を掃き集めて,堆肥を作るのだろう。

(c)m.ishii


樹木たちは毎年決まって落ち葉をさんざん撒き散らすのに、
人は迷惑だと思わず、かえってそれを楽しんだり、
ありがたく落ち葉をいただいたりする。

そんな人と木が仲良くなれる秋という季節が、僕は好きだ。
納屋には集めた落ち葉を詰めた大きな袋がたくさん。
数えただけで、20袋はある。

(c)m.ishii


見上げると、まだまだ枝にはたくさんの葉っぱが・・・
一体このケヤキは、たった1本でどれだけの落ち葉を落とすのだろう。

ケヤキとの再会の後、
宮沢賢治が「ほんとうの百姓になる」と決意し移り住み、
自ら畑を耕しながら、人々に農業の講義をしたり
レコードコンサートを開いたりして、
農業と芸術の融合の試みを実践した場所である
「羅須地人協会跡」へ向かう。

秋の日は短い。
もう辺りは薄暗くなってゆく。

(c)m.ishii


つづく。

2007.10.31 岩手県花巻市

等身大の落ち葉。作品展レビュー
2007年11月06日 (火) | 編集 |
(c)masayoshi ishii


遅くなってしまいました!!
9月に開催いたしました落ち葉の作品展「はっぱ ろくじゅうよん」で
皆様から頂いた様々な声を,お届けしたいと思います。


会期中には、10日間で2500人を超える方々にお越しいただきました。
写真に近づいたり離れたりしながら、何度も会場をまわって観てくださる方も多く、「やっぱり葉っぱって、すごい!」と僕自身もあらためて『葉っぱ力』を実感する展示となりました。
そして何より、一枚の葉っぱから様々な想像を膨らませる人間の感性というものも、本当に素晴らしいと感じました。


以下に掲載させていただくものは、感想ノートからの抜粋ですが、他にもたくさんの温かい励ましのお言葉を頂きました。

ほんとうにありがとうございました。

これからも、「樹木がアーティスト」である“落ち葉”の魅力を、皆様にお届けしてゆきたい!!と思います。




   *******************


ぜひ「葉っぱ12ヶ月のカレンダー」をつくってください!(K,Aさん)  


私も山を歩いたりして、思わず葉っぱを拾います。
手帳にはさんだりして。こんなに素敵な写真、うっとりします。
自然って、すばらしいこと。(Y.Yさん)
                
 
虫になった気分を味わいました。(Y.Aさん)


思わず触ってみたくなりました。
葉っぱが語りかけてきて、またこちらからも語りかけたくなります。
                     

蟻になった目線で、一時を楽しませてもらいました。新発見です。(古希の方)


せせこましい都会の中で、大きく深呼吸させてもらいました。(M.Tさん)


はっぱ一枚が一つの世界をつくっているようです。
どこかで見た都市のように・・・(E.Hさん)


これは写真じゃない!
フォトギャラリーで展示をやるものじゃない!(Hさん)


64倍って意外に大きいのにビックリ!そしてキレイ!(S.Yさん)


葉一枚は、まるで樹の一本と同じ形なのですね。
子供の頃の記憶が蘇りました。
ヒメシャラの葉は、上から見たメルヘンの街のようでした。
葉の模様の小さな四角が、まるでお家のようでした・・・(S.Mさん)


ソメイヨシノ、珍しいウラジロハコヤナギ、じっくり観ることで、あらためてその楽しさを発見することが出来ました。
絵で葉っぱを描くと、どうしても色があせてしまうので、葉っぱを表現するとき、どのような方法が良いのか考えるヒントになりました。(K.Kさん)


不思議な葉っぱの空間に、写真を超えるすごいアートの世界を感じます。本物以上に存在感があります。(Y.Hさん)


人間の作為とか意図が感じられると私は興ざめてしまうのですが、これらの葉っぱにはそれらが感じられないため、久しぶりに写真でグググっときてしまいました。
絵を描いていますが、この葉っぱたちを観て、色や造形や間など、真似は出来ない、自然には勝てないとあらためて思いました。(Y.Kさん)




  ****************


以上、作品展「はっぱろくじゅうよん」
(2007年9月11日より9月19日)のレビューでした。
再び皆様にお会いできるのを、楽しみにしております!!



(c)masayoshi ishii
ツタウルシ 十和田湖 2007.10.28
(c)masayoshi ishii
賢治を訪ねて2。花のような紅葉
2007年11月05日 (月) | 編集 |
花巻の、宮沢賢治の生家に宿から歩いて行く。
今は実の弟さんが住まわれているそうだ。

木造の門は当時のまま残されているが、
住宅の外観はリフォームされ昔の面影はなく、
和式の門構えとは裏腹に、ちょっとカラフルで洋風な佇まい。

同じように、周囲の街並も少しずつ変わってゆく。
倉などはまだ賢治のころのものも残っているが、
通りに並ぶそれぞれの建物の趣きからは、
建てられた各時代の空気が漂ってくる。
やはり、新しい建物に更新されるたびに、
昔の空気が失われてゆくのは寂しいところ・・・

道路の真向かいでも、一昔前の建物に並んで、
設計事務所が頑張ってデザインした無国籍な公衆トイレが
たった今、完成したところだ。
警備員さんが暇そうに棒立ちでこっちを見ているので、パシャっ。

(c)m.ishii


「ぶらり病」が出て、
路地を適当にさまよっていると、
古い土倉にツタが絡まり、鮮やかに紅葉している。


(c)m.ishii



人の暮らしと自然が、
同じ時の経過の中で絡み合い、つくられる風景。

植物のパートナーには、やっぱり自然の素材がよく合う。
いくら高性能でも、ハウスメーカーの住宅が背景だったら、
こうは行かない・・・


(c)m.ishii



遠くから
「おぃ、兄ちゃん!人の土地さ入って、なにしてる!」
と、おっさんの声。

あっ、いけない!
ぶらりしすぎて、私有地に入ってしまっていた。

「すいません。ツタの紅葉がとても奇麗なもので、写真が撮りたくてっ!」
と僕が返すと、

「あぁ、花ね!」だって。

おっさん、ツタの紅葉を赤い花が咲いているのだと思っているらしい。
確かに花が咲いているような美しさだ。
まぁ、花でもいいか!と思いながら、
無事撮影を終えて、私有地をあとにしたのでした。

2007.10.31  Hanamaki Iwate
photo:m.ishii
賢治を訪ねて1。ぎんどろの落ち葉をお供えして
2007年11月02日 (金) | 編集 |
(c)m.ishii



宮沢賢治が愛した「ぎんどろ」の木々が、
黄色く色づいた葉を少しずつ落とし始めていました。

陽気な黄色の葉の表と、ふわふわした純白な葉の裏。
葉のフチの切れ込みもいろんなパターンがあって、
ぎんどろの落ち葉の佇む光景は、何だか楽しげです。


今は「ぎんどろ公園」と名付けられているこの場所は、
かつて宮沢賢治が教鞭をふるった、「花巻農学校」の跡地。
石碑には、賢治が生徒諸君に寄せた詩が記されています。


『この4カ年が、わたくしにどんなに楽しかったか。
  
  わたくしは毎日を、鳥のように教室でうたってくらした。

   誓って言うが、わたくしはこの仕事で、疲れを覚えたことはない。』



賢治の本当に正直な気持。
なんて幸せな時間だっただろう。

(c)m.ishii



9月に亡くなった僕の親友も、名門と呼ばれる高校の教師でした。
自分の教職の仕事を「天職」だと誇りにして、
惜しみなく情熱を注いでいました。
病気になって休職してからも、生徒さんが慕って遊びにきてくれるのを、
何よりの喜びとしていました。

彼が賢治と全く同じような言葉をよく語っていたことを思い出して、
僕は思わず涙があふれそうになりました。


宮沢賢治、そして教師であった僕の親友、
彼らは、何を残したのだろう。
面白い童話を書いたり、いい大学に進学させたり・・・
そういうものではない。
種を播いたのだ。いろんな人々の心に芽生える種を。

ほんとうに、こうやって、いろんなところで芽を出している・・・


(c)m.ishii



大きなぎんどろの樹冠の下で、
種から芽生えて、すくすく成長する何本もの幼木たちを眺めながら、
そんなことを思ったりしました。


(c)m.ishii




宮沢賢治のお墓は、花巻農学校跡のすぐ近く、
歩いて1分の「身照寺」というお寺にありました。
控えめな案内が出ている程度で分かりにくい分、うるさくなくていいのです。
本当に賢治と触れ合いたいなら、
史跡や展示品を観て回るのもいいけど、
ここに来るのもいいでしょう。


(c)m.ishii
(写真:身照寺)


あれっ、そう言えば、ここには「ぎんどろ」の木がないじゃないですか。
賢治さんが寂しがっているよ・・・

献花の代わりに、農学校跡地で何枚も拾ってカバンに忍ばせていた
賢治の好きな黄色い「ぎんどろ」の葉っぱを一枚だけ、
お墓に供えてきました。


賢治さんは、久しぶりに僕の供えたぎんどろの葉っぱを手にして、
いつも嬉しい時にやっていたように

「ホーッ、ホーッ!」

と叫んで、両手をまっすぐ挙げてくれたでしょうか。

「ぎんどろ」の葉っぱからは、
そんな賢治の明るさが伝わってくるような気がします。

(c)m.ishii
ぎんどろの葉っぱ。花巻農学校跡にて。


*一枚目の写真:黄色く表になっているのが、大木になったギンドロの葉。白い色の裏を見せているのが、若木の葉っぱ。成長するにつれ葉の切れ込みが無くなって、葉裏の毛も少なくなってくる。

2007.10.30 Hanamaki Iwate
Canon EOS5D EF100mm 50mm 35mm