樹木は素敵なアーティスト。落ち葉と戯れるちょっと心地よい一日。 ウィーン旅行記、初めての野菜づくりの体験記も。コメントお待ちしてます!  
賢治を訪ねて4。今こそ賢治の意志を。
2007年11月08日 (木) | 編集 |
(c)m.ishii




眺めの良くて、気持ちのいい、僕が花巻で一番好きな場所。

そこは、宮沢賢治が自ら畑を耕しながら自給生活をした「羅須地人協会跡」。
彼はこの地で、農と芸術の融合の実践をしながら、理想に燃える月日を過ごしました。

高台になったこの場所からは、遠くまで続く田畑とその中をゆったり流れる北上川、
その向こうには北上の山々を見渡すことができます。(写真は曇り)
そんな展望の良さが、いつもどこか遠くを見ていた賢治を
きっと引きつけたに違いありません。



(c)m.ishii
(黒板のレプリカ。いろんな所にありますが、この場にあるのが正解)



宮沢賢治が実際に耕していた畑が近くにあって、
そこで賢治は、周囲の畑でだれかが農作業をしていれば、
真っ暗になっても決して先に帰ることはなかったというほど、
過労で体を壊し、それが亡くなる原因になってしまうまで、
まさに骨身を削って働いていました。

しかし、なぜ宮沢賢治はわざわざ
「ほんとうの百姓になる」と決意したのでしょか?


(c)m.ishii
(写真:賢治の愛した「ギンドロ」の葉っぱ)


宮沢賢治はもともと富豪の町民の出身、
それに賢治自身、農学校の教師として農業の厳しい現状をよく心得ていました。
だからわざわざ自ら農民にならず、家業を継ぐか、
そのまま教職、学者、研究者として留まることもできたでしょう。

しかし、賢治は街の人間として生きることを選ばず、
「農民」として生きる道を選びました。


厳しい農業の世界にあえて飛び込み、
自ら汗をかき、土にまみれて畑を耕すことにこだわったのです。

「それが賢治の自己犠牲の精神というものだ」
と言ってしまえばそれまででしょう。

でも僕は、同じく今年からささやかな畑を耕し始めた人間として、
そんな賢治が自ら耕作を望んだ理由、そして心境を、知りたいのです。


それに、農業の危機が叫ばれる現代の日本。
政治がおろそかにし続け、ボロボロになってしまった農業。
人々の「農」離れと「都市依存」も進んでいます。


そんな時だからこそ、宮沢賢治が
『ほんとうの百姓になってはたらく』
と決意し自ら鍬を振るったその意味を、考えてみる必要があるんじゃないか・・・


そこから「農業の価値」の深さというものが見えてくるような気がします。


僕自身は、ここで早急にその答えを見い出そうとは思いません。
自ら土を耕し、経験を重ねる中で考えてゆきたいから。

(c)m.ishii
(写真:ケヤキの根 羅須地人協会跡近く)

photo&text:m.ishii
2007.10.31 岩手県花巻市