樹木は素敵なアーティスト。落ち葉と戯れるちょっと心地よい一日。 ウィーン旅行記、初めての野菜づくりの体験記も。コメントお待ちしてます!  
足尾銅山 禿山が紅葉に色付くとき。
2007年11月18日 (日) | 編集 |
(c)m.ishii



「何だか夢のようだ・・・。
   まさか紅葉が楽しめるなんて。」

上の紅葉の写真は、それを取り巻く背景を知らなければ、
ありきたりの風景として片付けられてしまうかもしれません。

でもここが、「10年前は草木の生えない死の山」だったと知ったらどうでしょう?

(c)m.ishii


そう、ここは公害の原点、足尾銅山。
写真の木々は、工場の亜硫酸ガスの煙害で森を失い、生態系の死に絶えた山を、
市民たちが10年前より集まって植林を続けてきたところのものなのです。

この市民の植林地の周囲には、まだまだ禿げ山が残っています。
下の写真の山肌の上方は、公害による荒廃地。まだ手つかずのまま広がっています。
下方は市民が育てた木々が生える山です。
そのなんとまあ表情が違うことでしょう。

(c)m.ishii



11月11日は、植林地の秋の観察会。
朝から雨で、皆は色とりどりのカラフルなレインコートを着て集まりましたが、
木々はそれに負けないぐらい、なかなか鮮やかな紅葉ぶりです。


(c)m.ishii



初年度から今年までに植えた木々の成長を、
会長の神山英昭さんの先導で、眺めて歩きました。
途中、雨が止み、辺りに日が射し始めました。
すると、森を殺した煙を吐いた精錬所を背景にして、
雨粒をいっぱい滴らせた木々たちが、キラキラと輝きました。


(c)m.ishii



僕は観察会の翌日、一人遠方から植林地を眺めてみました。

色付いた木々を遠く眺めているうちに、
毎年毎年、みんなが苦労して試行錯誤を繰り返し、
そして緑が増えるたびに皆の会話が弾み、笑顔になってゆくのを思い出していました。

10年前、市民が集まり植林を始めた時は、
国の公共事業でやっている植林でも困難を極めているのに、
素人が集まってやっても難しいんじゃないか・・・
と言われていました。
足尾の禿げ山は、表土が流れ去って地層がむき出しになり、
そのうえ酸性化していて、植物にとってはあまりにも過酷な土地なのです。

(c)m.ishii



「ひょっとしたら植えた木は枯れてしまうかもしれない。
   でも、みんなの心に木を植えるつもりで頑張ろう。」

最初は、そのように「成果」より「気持ち」優先でした。
でも年を重ねるごとに、その気持ちに共感してくれる人々が、
どんどん、どんどん、集まって来るようになったのです。

参加者はやがて遠方からも多く駆けつけるようになり、
たくさんの苗木や腐葉土が寄付されるようになりました。
また営林署の技術指導、国土交通省の植林地の整備、環境保護団体の合流・・・
ほんとうにいろんな人を巻き込みました。

近年、とうとう植林の参加者は、1000人を超えるようになりました。


(c)m.ishii



春の植樹会では、植林地が急斜面で苗木や客土を一人一人が歩いて運ぶのが困難なため、平地から植林地まで皆が一列になって、バケツリレーならぬ「苗木リレー」をやりました。
最初僕は記録係として、そのみんなの様子を撮影していましたが、いつのまにかカメラを置いて、苗木リレーの列に割り入って汗をかいていました。

そんなこんなを思い出しながら、

「よく色づいてくれた。
  この紅葉は、木々からの、みんなの努力へのご褒美かな。」

なんて思ったりして。


そしてまた植林地に戻り、
幾つかの落ち葉を拾って持ち帰ったのでした。


(c)m.ishii



たった10年で「緑が蘇った」なんて、まだまだ決して言えないでしょう。
失われた自然を取り戻すのは、そんなに容易ではありません。
100年後、200年後に蘇っているかもしれない森の「はじまり」を今、みんなはつくっているのです。


2007.11.11 足尾銅山 photo:masayoshi ishii

*上の葉っぱは全て足尾銅山の市民の植樹地「大畑沢」のものです。
*植林の主催は「足尾に緑を育てる会」です。
*落ち葉写真:上から コナラ、メグスリノキ、ハナミズキ