樹木は素敵なアーティスト。落ち葉と戯れるちょっと心地よい一日。 ウィーン旅行記、初めての野菜づくりの体験記も。コメントお待ちしてます!  
銀のすすきの波から
2007年11月26日 (月) | 編集 |
岩手県花巻市の田園地帯。

(c)m.ishii



宮沢賢治の創作活動のフィールドであった花巻郊外を歩きました。


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「なめとこ山の熊」や「鹿踊りのはじまり」に出てくる「鉛温泉」の近くまで、
4時間ほどかけて、寄り道をしながら歩きました。


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宮沢賢治の教え子さんの話では、
この辺りを賢治は農学校の生徒らを引き連れて、よく散歩をしたといいます。

当時、ここにはススキの平原が広がっていて、
賢治先生は生徒さんといっしょにススキの穂を丸く輪にして、
キキョウ、オミナエシなどを刺して、花輪にして首にかけて遊んだのだそうです。

賢治先生は、花輪を首にかけて、両手を上に挙げて、
子供のように「ホーッ、ホーッ」と叫びながらススキの平原を歩きました。

だけど今、歩いてみると、
田んぼとリンゴ畑の他は宅地が広がるばかり、
ススキの平原は、ありません。


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ああ、もうみんな変わってしまったんだ・・・帰ろうか、
いや、もう少し歩こう・・・と豊沢川の上流に進むと、
そこには、ささやかながら、ススキ野原が残されていました。

「ススキ野原に会えた!  まだ残っていたんだ!!」

と、喜んだのも束の間、よく眺めてみると、
ススキの向こうには、新興住宅地の家々の真新しい屋根たちが迫っています。
ここはもう、宅地に開発され、消えてゆく運命にあるのかもしれません。

ススキ、ススキ、会えた会えた。
ここでお昼だ。おにぎりを食べよう。
ススキ野原の手前の田んぼのあぜ道に腰を下ろすと、
背後の家々は、背の高いススキに隠れて見えなくなりました。
ススキの向こうには、「なめとこ山の熊」の舞台にもなった山々が望めます。
賢治の時代に広がっていた風景は、こういうものだったのかな?と、
少し体感できたような気がしました。

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ススキは、本当に銀色に輝いていました。
光の粒子で満たされていました。
「銀色に輝く」とは、こういうことか・・・

それは、言葉でしか表現できないものでした。


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決して写真に写らない、銀色の輝き。
それが写らないのが分かっていながら、
ああ、どうして僕は、写真を撮るのだろう・・・

僕の敬愛する動物写真家、星野道夫も言っていたっけ。
「一番美しいところは、カメラを置いて、目に焼き付けるんだ。」と。
そう、写真を真摯に志す人は、
決して写らない美しさがあることを、知っているのです。

宮沢賢治の童話の世界には、
当時の風景が、生き生きとした文章で語られています。

そうやって賢治が、魔法のような魅惑的な言葉を書き残したことによって、
世界がその後いくら変わろうとも、
風景は永遠に不滅の映像となって、焼き付けられたのです。

写真で残されていなくても、
言葉が、風景を新鮮なまま、
永遠に消えることない映像として焼き付けているのです。

かえって写真には、言葉よりも不自由で、
言葉の風景よりも、写らないものもある。
でも言葉を超えられることも、たまにあるんだ・・・・

ぶつぶついいながら、結局僕は写真を撮り続ける。
世界と僕との距離を埋めるために。


(c)m.ishii



Hanamaki Iwate 2007.11
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