樹木は素敵なアーティスト。落ち葉と戯れるちょっと心地よい一日。 ウィーン旅行記、初めての野菜づくりの体験記も。コメントお待ちしてます!  
雪のブロッコリー
2008年02月09日 (土) | 編集 |
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秋から育て始めた7本のブロッコリー。

雪の中、たった1本だけの収穫。
それでも心はホクホク温かい。

それというのも、3日前に初収穫したブロッコリーが
とってもおいしかったからだ。

初めて育てた野菜の味を知るために極力シンプルに調理。
熱湯で少し茹で、味付け一切無し。
そのままパクリ。

柔らかくユニークな食感、甘く上品な味・・・
ブロッコリーってこんな美味しく楽しめるものだったんだと、
この歳になって目からウロコ・・・
今まで料理の脇役でばかりお目にかかってきた、
どことなく捕らえ所のないブロッコリーのイメージが吹き飛んだ。

大きな握りこぶし程の、
ただ茹でただけのブロッコリーを、
あっという間に平らげてしまった。

でもこの美味しさは、実際の味以上に、
栽培を土づくりから収穫まで管理し、
農薬も使わずに済んだという
安心感の気持ちから来る部分が大きい。

そんな横では、テレビで中国産冷凍餃子のニュース。

なんで食べることが、
こんなに巨大で複雑で不透明で不自由になってしまったのか・・・

そんな食料を輸入に頼る中、
日本では、安心安全だけには留まらず、
素材の味を堪能できる素晴らしい野菜を
育て上げている農家の方々も多い。
また消費者や地域との繋がりを大切にしている生産者も多い。
それは日本の誇りであって、希望でもある。
それがもっともっと評価されるような世の中に
ならなければならないと感じる今日この頃。


(c)m.ishii



m.ishii 080206












あったかい足跡
2008年02月06日 (水) | 編集 |
(c)m.ishii



寒い日、雪の積もった公園で、
散歩した人の足跡の雪が溶けて、
そこから落ち葉たちが顔を覗かせていました。

落ち葉というものは、
ただ堆積するだけで腐食の化学反応で温かくなるそうです。

雪のなかの、
あったかい足跡です。



m.ishii
080205



立ち尽くす日々
2008年02月01日 (金) | 編集 |
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畑に頻繁にまた通いはじめる。
最近は、2〜3日に1度、野菜の生育の様子を見に、
中央道を飛ばして八王子の畑に訪れる。
でも毎回、ただただ、見るだけだ。

僕は屋外で長く写真をやってきたせいで、
季節の光の変化には敏感だ。

最近は日が確実に長くなり、
太陽高度が上がってきたせいで照度が増してきた。
光線の黄色味もだいぶとれて、
季節が冬から春に向かっているのが、
風景を照らす光の色でも感じることができる。

訪れる度に、畑の横のエノキの小さな冬芽は少しづつ膨らみ
モクレンのつぼみもフカフカ大きくなってゆく。

光の変化や、樹木たちの春へ向けての周到な準備を
僕はそうやって身近に感じることが出来るのに、
目の前の野菜たちに何をしてあげたらいいのか、さっぱり分からない。

一見成長が止まっているように見えるけれど、
次の季節へ向けて、何かがどこかで動いているに違いないのだ。
だけど、僕にはそれを感じられる感性が、まだない。

それを認めざるを得ず、ただただ、立ち尽くす。
冬枯れのクヌギの木々のように。

「やることがない」のではなく
「何をしたら良いのか分からない」ことの悔しさを噛み締め、
ただ見回って記録写真を撮るだけで、今日も畑を後にする。

そして、写真を始めたばかりの自分と重ね合わせる・・・

  ・・・・・・

大学卒業後、プロカメラマンになるために、
何も知らぬまま勢いで、有名写真家の事務所に飛び込んだ。
世界的にも知名度のある写真家で、
仕事に対しても人に対しても厳しいことでも有名な人だ。

それまで僕はそれまで高校では写真部にいたし、
大学でも大量に写真を撮っては暗室に通う日々を送っていたから、
写真のことは、けっこう知っているぞと自負していた。

しかし、その有名写真家のアトリエに飛び込んで、愕然とした。
あまりに違う、アマとプロのレベルの差。
何一つ通用しないのだ。

親しんできたはずの写真の世界が、そこに一歩踏み込んだとたん、
まるで違う未知の世界。もう真っ暗闇で手探りだ。
写真家への道は、あまりにも遠く長く感じた。

ただただ毎日、僕はその写真家の後ろで立ち尽くすばかり。
「やることがない」のではなく
「何をやったらいいのか、まるで分からない」のであった。

でも、とにかくその写真家の何かを盗み、勉強しなければならない、
けれど、やることの何が有用で何が無駄なのかさえ分からない。
だからただただ、何事も見逃さないようにひたすら観察した。

そして分からないことは質問した。
「そういうのを愚門というのだよ。」と、しまいには呆れられた。

忘れないよう、細かくメモもした。
「そんなことをメモして何の意味があるんだね。」と罵られもした。

その写真家には、あまりにも力不足で結局付いてゆけず
数ヶ月で辞めなければならなかった。

そこには何の痕跡も残せなかった。
でもそれらは無駄だったとは思わない。
悩み考えたからこそ、何かを求める気持ちがより大きくなったのだと思う。

そして何より、その有名写真家に付いて得たものは、
プロ、一流の『標準レベル』を知った、ということであった。
それは今も僕の中で、写真を観る基準として生きている。


 ・・・・・・


あぁあ、ホントにプロ写真家を志したときと一緒。
何も出来ないと分かっていながら畑に通う日々。
そうしているうちに、写真と同じように、
野菜づくりでも、自分にとって、
何を、誰を「標準レベル」にしたらよいのかを求める日が
いずれ来るのだろう。
でもそれは、この今の農場では得ることは出来ない・・・

・・・などなど考えながら、今日も畑に通う。
ブロッコリーの収穫が一つだけ。



m.ishii

2008.1.31